ソウルでのフィールドワークを振り返って
自分らしく生きているのか、用意されているシナリオを演じているのか —
ソウルは新旧入り混じった街だ。街の中心を流れる漢江という大きな川の南側は、高層ビルが立ち並び開発が進んでいるが、北側の旧市街には、アーケード商店街や雑居ビルなど古い建物が立ち並ぶエリアもある。ソウルの地下鉄の満員電車を体験したあと、まずは古くからある地元のマーケットに足を運んだ。
広蔵市場は、衣料品店をはじめ様々な店が立ち並ぶ商店街。個人経営の店が多いため、店でのオーナーのふるまいは、まるで家の中にいるようで、その人の人間性がよく現れている。骨董市では、土日だけ店を開くアマチュア店主もいて、商売というより自分の好きなものを展示しているようなお店もあったりして個性的だった。その一方で、現代百貨店のような大手企業が運営する商業施設での店員のふるまいは、マニュアルや研修によってトレーニングされている。店員の対応が均一で、個人の人柄が見えにくい。そんな中で印象に残ったのはデパ地下で働くおばさんたち。制服を着ているのだが、彼女たちの姿勢や動き方は、どこかの家庭や街の定食屋さんにいるようなオモニ(母)を彷彿とさせる感じで、その人の個性が漏れ出ているようだった。
川沿いの漢江公園には、ピクニックシートを広げて思い思いに休日を楽しむ大勢の人たち。持ち込んだテントを張れるエリアも用意されている。木陰でシートを広げて家族や友だちと談笑したり、寝転びながら本を読む人たちなど、周りを気にせず思い思いの時間を過ごしていた。タダシさんは、もし幼少の頃、このように自由にふるまえる公共空間が身近にあったら、僕はダンスをやっていなかったかもしれないな、と話した。
中国ダンサーの2人は、街を行き交う男女のふるまいの違いに着目していた。若者を中心に多くの人たちが「見た目」に気を遣っていて、男性らしさや女性らしさを意識した服が多い印象を受けた。現地のある若手男性ダンサーは「男性は女性に対して優しくすべき」「デートで街を歩くときは彼女の腰に手を回す」といったプレッシャーを感じることがあるという。ファッションを通じて自分らしさを表現している一方で、社会の中でこうあるべきという価値観やイメージに強く影響され、用意されたシナリオを演じているようにも見える。たとえ、自らの人生を自分の意思で選択し、自分なりの考えを貫き、生きたいように生きていると感じていても、私たちの人生は、時代の大きな流れに左右されているだけなのかもしれない。