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開催レポート|トークセッション #03「中国と韓国のふるまい」

ビヘイビアプロジェクトは、日中韓3カ国のダンサー6名が身体表現の専門家として3都市のふるまいを比較観察・収集・実験していくプロジェクトです。

東京・ソウル・北京でのフィールドワークの一環として、日本人ダンサーのシマダタダシ氏と北川結氏が6月5〜11日までソウル、6月13〜19日まで北京を訪れ、人々の「ふるまい」を観察してきました。今回のトークイベントではリサーチを終えて間もない2人を迎え、フィールドワーク期間中にどのようなソウル・北京の「ふるまい」に興味を持ったかを共有しながら、ふるまいの背景にある自身の日常や文化について考えていきます。

ゲストには、フリーランスのキュレーターとして映像をはじめとしたさまざまな作品やプロジェクトに関わる澤隆志氏をお招きしました。キュレーターの視点から、ダンサーたちが着目したソウル・北京でのふるまいについてコメントをいただきながら、イベント参加者とプロジェクト主宰の中澤大輔と共に、身体と表現の関係性について考察していきます。

ゲスト澤隆志氏|映像とパフォーミングアーツの近接点について

まずは、今回ゲストとして登壇する澤隆志氏より、自己紹介としてこれまで関わってきたプロジェクトや、自身の活動とパフォーミングアーツとの繋がりについてお話をいただきました。

澤氏は、2000年から10年間、国内外の芸術性の高い映像の上映祭「イメージフォーラム・フェスティバル」のディレクターを務め、現在はフリーランスのキュレーターとして、パリ日本文化会館、東京都庭園美術館、青森県立美術館、長野県立美術館などと協働キュレーションを多数行っています。

これまで自身がメインのフィールドとしてきた映像というジャンルについて、ダンスやパフォーミングアーツと比較しながら、その共通点を指摘。上映中は、映像を映すプロジェクターも観客も止まっていてそこに「ふるまい」は発生しないけれど、最近は移動しながら見たり、視線を変えて見たり、お客さんもある種の「ふるまい」というアクトを求められるようになった、と語ります。

「また、美術館で映像を上映する際には、何をどういう順番で流すかだけでなく、どの位置で上映するか、空間性を考えるのも仕事になってきます。2021年に長野県立美術館で行ったのが、美術館の空間にプロジェクターを複数配置して、スクリーンも5、6個置いて、コンピューターで制御してそれぞれが動いたり静止するタイミングをコントロールするという方法です。画面同士の上下の関係性とか向かい合わせの関係性とか、位置によって意味を持たせることができるわけです」

リンクを共有すればどこでも映像が見られる今の時代において、美術館に足を運んで映像作品を鑑賞してもらうには、空間性を持たせた体験をつくることが大事だと言います。そして、アピチャッポン・ウィーラセタクン「フィーバー・ルーム」の舞台上で動くスクリーンなどを例に挙げながら、作り込んだインスタレーションは”ほぼ舞台芸術のようなもの”だと、映像とパフォーミングアーツの近接点について考えるようになったそうです。

そして、「ふるまい」については、「ただの動作ではなく、鏡を意識した動作のように、誰かが見てることを前提とする、見られている”振り”だと思います。今回ダンサーというふるまいのプロの人たちが他国の人のふるまいを観察して、それを元に自身を省みるという、鏡の鏡みたいな、すごく難しいことやってるなと思います」とプロジェクトについての感想を述べました。

ソウル・北京でのフィールドワークを振り返る

次に、直近で実施してきたソウル・北京でのフィールドワークを振り返りました。本プロジェクトでは日本・韓国・中国の3都市にて、同じ7つのテーマで各所を訪問し、比較し、観察しています。本レポートでは主に「公共交通機関」「公共空間 / コミュニティ」「教育 / 家族」についての振り返りを取り上げます。

ソウルと北京でのフィールドワークについては、こちらのレポートもご覧ください。

ソウルでのフィールドワークを振り返って

北京でのフィールドワークを振り返って

公共交通機関

公共交通機関では主に平日朝のラッシュアワーの電車に乗りました。ソウルと北京の満員電車を体験してみた感想を、ダンサー2人と中澤は次のように語ります。

シマダ「僕の個人的に体感した感じだと、韓国の満員電車の人たちは、通る時やすれ違う時の意思が結構はっきりしていた気がします。あと、韓国はドア付近に手すりがないんですよね。だから混雑していても掴まるものが何もないのに、それぞれがバランスを保っているというのが不思議だったんですよ。中国は、僕は初めて行ったんですけど、元々抱いていたイメージと違って、目線の使い方や相手との距離の測り方など微妙な感じが、日本との共通点を感じました」

北川「 ソウルでは立ってる人の姿勢が良くて、ドアや壁に寄りかかる人をほとんど見なかった気がします。北京に行ったら、寄りかかっている人もいて、体のフォルムが日本に似て見えるっていうか、何か少しソフトに見える感じがしました。もちろん、何回か電車に乗った時に感じただけの印象ではあるんですけれど。」

中澤「都市が違っても、電車の乗り降り自体は同じ動作をしているんですよね。でも、実際にどうやって降りるかとか電車の中をどう移動するかという手順に、違いがあった気がします。日本でも電車に乗るときに、背後にいる人のプレッシャーを感じて動いたり、降りるときに「降ります」ってシグナルを発して周りの人に気づいてもらったりしますよね。韓国の方は、そのシグナルを発して降りるというより、意思をはっきり表明してサッと降りる。日本に比べて、身体同士の接触も多い気がします。そういう違いがなぜ起きるのはかはわからないけれど、 生きていくための仕組みが違うのかもしれないと思いました」

公共空間 / コミュニティ

公共空間では、ソウル・北京共に公園や広場を訪れました。

ソウルの公園では、木陰でシートを敷いてピクニックをしている人がたくさんいて、テントを張ってる人も多く、思い思いに過ごしている印象を受けたといいます。 また、ソウルで毎日のように行われているデモを観察しに行き、大規模に組まれたステージでの演説が終わった後、参加者たちがピクニックシートを敷いてご飯を食べ始めたり、お喋りしていた様子を映し出しながら、公共空間が意思表明の場として使われている事例を紹介しました。

北京の公園や広場では、ダンスや太極拳、エクササイズ、カラオケなど、さまざまなアクティビティが行われていました。ある広場では、フラッグダンスをしている人たちの横でバトミントンをしている人がいたり、すぐその隣で太極拳を始める人がいたり。距離感が東京と比べてすごく近いけれど、周りを意識しすぎることなく、自然とポジションを移動しながら調整してぶつからずに共存していたという驚きを語ります。また、北京では「遊泳禁止」「喫煙禁止」と看板が立っている横で、泳いだり喫煙したりしている人がいたことにも触れます。

中澤「北京に住む人にこのことを話したところ、政府が定めたルールはあるけれど、それとは別にこの公共空間はこういうふうに使うべきなんだという”パブリックアウェアネス(公共意識)”があると言っていました。 ルール上は遊泳禁止でも、昔からその池で泳いでる人がいるんだから認められるべきだ、という意見があると言います。公共空間の中で他者とどう折り合いをつけて使うかという視点では、電車の中でも同じようなふるまいがあったかなとい思います」

教育 / 家族

ソウルと北京では小学校で子どもたちの登校の様子を見学しました。

北川「ソウルで保護者がお子さんを見送るときは、手を振ったり、見えなくなるまでずっと見ていたりが多かったのに対して、北京だと、保護者がバイクや自転車に子どもを乗せて校門近くまで来たら、子どもが降りて『じゃあ』とあっさり別れていく感じで。公の場での愛情表現というかその態度の表し方みたいなものに、違いがありそうだなと思いました。そこから、日本では親はどうやって自分たちを見送ってくれてたか、という話にもなりましたね。公の場での家族のふるまい方について考えるきっかけになりました」

シマダ「韓国の子どもたちは結構自由にふるまっていて、子どもらしいなというくらいの印象だったんです。でも、中国で子どもの様子を見たときに、ちょっと気を使ってるっていうか、何か相手に気遣いをしようとしていて、でも子どもらしさみたいのもあるっていう、そのバランスが、何となく日本の子どもや、自分の息子に似てるなと感じたのが印象的でしたね」

3つの問いについてのオープンディスカッション

最後に、フィールドワークを経てダンサー二人がトーク参加者と話してみたい3つの問いを掲げ、それについて全体でオープンディスカッションを行いました。

1つ目は、公共意識について。


澤「禁止のサインとは逆に、やっていいことをちゃんと表示して、実際に物として置くのはどうでしょう。北京にピンポン台があったり、アムステルダムにフリーDJブースがあるみたいな感じで。すでにあるルールは急には変わらないから、やっていいことの幅を広げていけたらいいですよね」

参加者からは、日本の公園の窮屈さや居づらさについて話がでました。ある参加者は、北京の公園の様子と比べると、日本の公園は規制が多くてやれることが少なく、ただ静かに散歩する場所だけの場所になっている気がしたと言います。

また、別の参加者は、あらゆる空間が何のをするための場所か決められていて、自分が子どもの頃にあった原っぱのような自由に使い方を決められる場所が都市部になくなってしまったことに触れます。そして、ルールに合っているかどうかジャッジされる今の状況に対して、自分なりに戦いたくなるという話をしました。

それに対してシマダ氏も、公園でレジャーシートを敷いて休もうと思ったときに、周りの目線や空気を感じていろいろ考えてしまい、純粋に楽しむというより自分の中でその社会性と戦う感じになってしまって結局休まらない、と語ります。「外で踊ってみたときも、単に自分のためというよりは、どこか社会のためみたいになってしまい、訳わからないと思って帰ってしまいました」

続いて、「私はどこにあるのか」という問いかけは、北川氏から出されたもの。この問いを考えた経緯として、ソウルのレストランでお水を頼もうと思ったときに、店員さんの様子を見ていたら声をかけられなくなくなってしまったという経験を語りました。自分がしたいことと、相手に対する気遣いについて考えを巡らせる北川氏からの問いかけに、参加者からは次のような反応がありました。

「僕もそういうタイプなのですが、暗黙のルールを自分に内面化をしてしまうことが厄介だなと思っています。もうこの問題自体、こう考えてしまうことが”やばい”と思うんですよね。社会から求められている自分と、こうしたいと思う自分もいるかもしれないし、その逆もあるかもしれないし…… と考えてしまう回路は、僕もすごい持ってます」

「私の子どもは気を遣うタイプで、何が食べたいか聞いても作りやすいものを答えるんです。育てやすい面もあるけれど、自己主張が弱いとも言えます。でも、家族が幸せというのがその人個人の意志かもしれない。あなたはどうしたいのと問いすぎず、どっちでもいいという気持ちもあってもいいのかなと思いました」

「自分は、コミュニティごとにキャラクターが違います。先輩からは弟キャラ、後輩からは兄貴キャラとか、一貫性はないけれど、こうしたいと思う自分はいろいろな場面であるのでは。そう思う全てが自分だと思っています」

オープンディスカッションでは参加者それぞれの経験にもとづいた意見がたくさん出ました


そして最後の問いは、ルールと社会規範について。この問いは、シマダ氏から投げかけられました。

シマダ「韓国と中国で共通して感じたのは、社会の中でどうふるまうべきかよりも、個人として何をしたいかという“主張”が強いなあということ。 日本に戻ってきて一番ハッとしたのは、公共の場所での“静けさ”だったんです。音的に静かというだけでなく、なんというか、身体的なノイズがない。 ソウルで個人の“自由さ”を感じたとき、自分は社会性とか社会のルールにすごい縛られてるなって感じたんですが、逆に、僕は日本社会に飼い慣らされた身体を解放するために表現をしているんですね。もし僕が日常生活の中で自由にふるまえちゃったら、じゃあ一体何のために表現をするんだろうって、よく分かんなくなっちゃって。 日本に帰ってきて頭が混乱しました。それで皆さんにも、自分の中にある社会規範やルールとどう付き合って、どう抗っているのかを、聞いてみたいです」

会場にはダンスを踊っている人も複数名いて、不自由さと踊ることについてのリアクションがありました。

参加者「先ほどの話を聞いていて、日本では「広場」というものにあまり馴染みがないなと思いました。公園はルールがいっぱいあるけれど、広場というものがあれば、もっと自由な使い方ができるかもしれない。自分は普段から屋外で即興的に踊ることがあるのですが、個人的な強い意志で踊るとそこに住まう人たちに迷惑をかけてしまうのではと思うようになって、公共の場でどう踊ったらいいかわからなくなってしまいました。もし外で、何かに対する抵抗とかじゃない形で踊るとしたら、広場だったらできるかもしれない。それは、社会規範も暗黙のルールもどちらも成立された状態で踊ることができるっていう感じなのかなと思いました」

参加者「韓国に長く行っていたのですが、個人が社会の仕組みに押し込められているというのは、韓国の方が結構そうかもしれないと、東京に戻ってきて感じました。例えば、韓国は徴兵があるので、それを免れるためにダンスで賞を取ろうとしたり、今の業界的に良しとされているダンスを踊るためにむしゃらに頑張る傾向があります。だからスキルは高いけれど何というか、逆に個性がないようにも見える。韓国は韓国なりに、色々な制限があるのだなと思います」

また、澤氏からは抵抗と表現について、アートが社会的な抑圧や既存のルールに対する抵抗と捉えるのはわかりやすいけれど、それだけだと狭くなってしまう危険性もある、原っぱのような何でもない空間や時間の中で“何かしたい”と感じる初期衝動のようなものも大事だと思う、という指摘もありました。

以上、ソウルと北京でのフィールドワークを経てのトークセッションでした。次回は韓国人ダンサーが東京にリサーチに来たタイミングで、哲学者・山森裕毅氏をお招きしたトークセッションをレポートします。




The Behaviour Project talk session #03「中国と韓国のふるまい」

日時|2024年6月25日(火)19:00~21:00(受付開始18:30
対象|社会人、学生、アーティスト、ふるまいに興味のある方は、年齢に関係なくどなたでも大歓迎です。
定員|30名
参加費|無料
会場|渋谷スクランブルスクエア15階 SHIBUYA QWS クロスパーク
主催|architecting stories合同会社 ビヘイビアプロジェクト