
公演レビュー①「公共という舞台」
ぶつかりおじさん、除夜の鐘を止める
尊敬する芸人の上岡龍太郎は「都会では自分を車だと思ってふるまえ」というようなことをトークで指摘していた。
混雑の中急に立ち止まったりするおばちゃんを揶揄したり、雨傘を水平に持って平気で歩いてるアホ学生に苦言を呈したり。クスクスしながら見ていたころから30年以上経って、日本はマナーに敏感でスマートな国になったかというと疑問。マナーや正義を都合のよい理由にして攻撃的になっていない? 〇〇警察が湧く傍ら、ぶつかりおじさんなる傷害罪予備軍までいる。あーあ。
さて、個人的には「ふるまい」とは、他人の目があることを意識し前提とした動作、だと思っている。都市生活において、不必要なトラブルを最小化するためにする我慢のベストエフォート。おとなしく行列を作って待つことに疑問を持ったりしないのが都会のたしなみ。そんな場面で自我だの個性を出すなよ! といった。
対し、公共意識を盾にしたやっかみや、面倒を第三者にアウトソースしすぎることが重なると、禁止事項だらけの公園や、音がうるさいとクレームがあったから除夜の鐘止めますみたいなバカげた事態にもなる。これが人の世か?
公共空間において、我々は都市生活者という演技を徐々に会得していく。そして皆演技を窮屈に感じているから、逸脱する者を呪うかたわら軽い羨望も覚える。故にキツくあたる…
スクリーンは俳優か
アピチャッポン・ウィーラセタクンの演出した公演に「フィーバー・ルーム」がある。これは映像、というか光を受け止めるスクリーンそのものが動き、演技するような作品であった。
イラン出身のシリン・ネシャットが手掛ける「荒れ狂う」というビデオ・インスタレーションは、巨大な部屋の向かい合う壁全体に2つの映像が映る。片方は男、白い衣装、満席。もう一方は女、漆黒の衣装、無観客。白黒歌合戦の体裁。ビデオが始まると、あまりにも投影された映像が巨大なために、片方に目をむけると他方は視界から完全に消える。どちらか一方を選択せざるを得ない二重の”立ち位置”を問う作品。終盤、歌声において強烈なツイストがある忘れられない作品。
ビデオ・インスタレーションが巨大化して、立体的な施工を経て、観客導線も演出の考慮に入れてみたとしたら、もうそれは舞台と呼んでしまってもいいのではないだろうか。そんな雑談を続けていたらパフォーミングアーツ関係の友人知人とつながり、中澤大輔さん率いる「ビヘイビア・プロジェクト」に薄く関わるに至ったのだ。
ビヘイビア・プロジェクト
そして2024年2月、日中韓各国男女2名計6名のダンサーが互いの国を訪問し観察と対話、体験と追想を繰り返し、とりあえずの区切りとしてパフォーマンスを行った。お題は「ふるまい」である。ダンサーは韓国からイエ・ヒョスン、ナ・へヨン。中国からウェイ・マン、ワン・ジャーミン。日本からシマダタダシ、北川結。
舞台は椅子が6脚、中央にマイク、背後の壁に映像が投影される。進行はこうだ。6人のダンサーは1人ずつリサーチや対話で感じたもろもろをTED風にプレゼンテーションする。背景に日英字幕。プレゼンがシームレスに公演に切り替わっていく。プレゼンター以外の5名が共演して、各自レクチャーパフォーマンスを行うというスタイル。各パートの音楽をすべて額田大志が担当する。
比較文化の陥穽
日本人はTVなどで外国人にいじられるのが好きなようだ。自嘲も好きだが褒められるのも好き。なので、比較文化的なテーマの場合、”あるある”に終始しやすいもので、そこからイージーな反省やライトなナショナリズムに落ちやすい。その陥穽に十分気をつけているのが伝わった。
6人
明確に分けられるわけではないが、印象としてダンサーの作品は「公共のコードからはみ出た状態を描く」か「内に秘める抑圧を描く」のどちらかに傾く2種に選別できる印象があった。公演順に、
ワン・ジャーミン
日本社会の過剰なシステマティックさが源泉。”吹き出し”のような風船がつながった身体で表現。コードからはみ出た状態を描く。

ナ・へヨン
感情を押し殺すと発病すると言われている「火病」について。他の5名にコンタクトしていくパワフルなダンス。コードからはみ出た状態を描く。

シマダタダシ
視線恐怖について。呼吸→過呼吸→叫びの展開。内に秘める抑圧を描く。

イエ・ヒョスン
年長者としての遠慮について。男性陣がワークアウトを行い、アイスブレイクする/しないを表現。公共のコードからはみ出た状態を描く。

ウェイ・マン
両親から受けた抑圧という彼女の個人的な体験が源泉。衣服を着る/脱ぐという所作を通じて「決められた役割」を考察する。内に秘める抑圧を描く。

北川結
過剰な気遣いについて。5名と練習時のやりとりをメタ的に描く。内に秘める抑圧を描く。

外にはみ出るか、内に秘めるかはとても近く、どちらにもなりえる瞬間や、揺れ動く様を描いているとも感じた。個人的な印象ではあるが。
プロジェクトは続く
中澤さん率いる本プロジェクトは、ダンサーのリサーチ滞在、現場での対話、日本の研究者との議論、今回のレクチャーパフォーマンスときて、やがて映像化されるようだ。アフタートークでも感じた中澤さんと6名のダンサーとの柔らかい関係で、これからも「ふるまい」を見つめ、かんがえ、アクションを起こす。
このプロジェクト全体が、中澤大輔さんが仕掛けた長い長いタイムスパンでの振り付けで、都市生活という本公演と並行しているゲネプロなのかもしれない。もちろん観客参加型の。
※文中の写真は、写真家の菅原康太氏が撮影した公演記録写真を使用しています。